東京高等裁判所 平成5年(ネ)1423号 判決 1994年5月30日
控訴人
株式会社日本教育社
右代表者代表取締役
森岡和彦
右訴訟代理人弁護士
河合弘之
同
青木秀茂
同
吉野正三郎
同
千原曜
同
久保田理子
同
清水三七雄
同
大久保理
同
原口健
同
河野弘香
同
野間自子
被控訴人
ケネス・J・フェルド
右訴訟代理人弁護士
本林徹
同
相原亮介
同
品川知久
同
棚橋元
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 本件を東京地方裁判所に差し戻す。
(なお、控訴人は、当審において、本訴請求を「被控訴人は、控訴人に対し、金三億四二七一万六三〇九円及びこれに対する平成元年九月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。」と減縮した。)
二 被控訴人
本件控訴を棄却する。
第二 当事者の主張
当事者双方の事実上及び法律上の主張は、次のとおり原判決を補正し、当審における主張を付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
一 原判決の補正
原判決三枚目表六行目及び同裏三行目の各「興業」をいずれも「興行」と改め、同四枚目裏一行目から同五枚目表二行目までを削り、同三行目の「6また、」を「(一)」と、同一一行目の「一億一一七六万一二三二円」を「一億一一六七万一二三二円」と、同裏二行目の「7」を「(二)」と、同四行目の「証明」を「照明」と、同六枚目表一行目の「8」を「6」と、同二行目から三行目にかけての「5ないし7項の各損害の合計二三億六八一六万〇一九三円」を「前項の損害の合計三億四二七一万六三〇九円」とそれぞれ改め、同一一枚目裏一一行目の末尾に「したがって、右米国法の判断基準の適用の結果は、わが国の公の秩序に反するから、法例三三条により右米国法の適用は排除されるべきである。」を、同一二枚目表三行目の「異なるのであるから、」の次に「控訴人とリングリング社を当事者とする本件契約上の紛争に関する」をそれぞれ加える。
二 控訴人の主張
1 本件仲裁契約の仲裁条項は、「その紛争は、当事者の書面による請求に基づき、商事紛争の仲裁に関する国際商業会議所の規則及び手続によって仲裁に付される。リングリング社の申し立てるすべての仲裁手続は東京で行われ、JECの申し立てるすべての仲裁手続はニューヨーク市で行われる。」という文言であるが、この文言だけでは、日本側の仲裁機関の特定が不十分であり、この条項に基づいて仲裁契約が有効に成立しているとはいえない。
2 仲裁契約を訴訟契約と解すれば、準拠法は「手続は法廷地法による」との原則から導かれるので、当然日本法となる。また、仲裁契約を実体契約と解しても、その仲裁契約が妨訴抗弁として訴訟に提出され、その効力を控訴人が争っている場合には、仲裁契約が控訴人の提起した訴えにどのような影響を及ぼすかについての判断は、訴訟法上の問題であって、その準拠法は、「手続は法廷地法による」との原則に従い、法廷地法である日本法ということになる。
3 本件仲裁契約で仲裁地の選択は、仲裁を申し立てる相手方の国が仲裁地とされている。つまり控訴人が仲裁を申し立てる場合にはニューヨーク市が仲裁地であり、リングリング社が仲裁を申し立てる場合には東京が仲裁地である。この選択基準を、一方の当事者が自国の裁判所に提起した訴訟において相手方が仲裁契約による本案前の抗弁を申し立てた場合について適用すると、リングリング社ないし被控訴人が東京地方裁判所において本案前の抗弁を申し立てた場合には仲裁地は東京とすべきであるから、その抗弁の当否を判断するにあたっては、日本の仲裁法、すなわち日本の民訴法七八六条が適用されなければならない。
4 仲裁地がニューヨーク市であるとすれば、連邦仲裁法及びこれに基づくアメリカ合衆国連邦裁判所の判例を適用する前に、まず、ニューヨーク州の仲裁法及びこれに関する判例を検討すべきである。この場合、連邦仲裁法を適用したときと逆の結論になる可能性がある。
三 被控訴人の主張
1 国際商業会議所の標準仲裁条項は、「本契約に関して生じるすべての紛争は、国際商業会議所の調停及び仲裁規則に従い、この規則に基づいて選定される一又は二以上の仲裁人により、最終的に解決されるものとする。」というものであって、国際商業会議所の仲裁規則に従って仲裁する旨さえ合意されていれば、国際商業会議所の仲裁裁判所で仲裁するのは当然であり、仲裁機関を特定する必要はない。
2(一) 仲裁契約の準拠法は、仲裁契約が訴訟契約か実体契約であるかによって決まる事柄ではなく、仲裁契約が自主的な紛争解決方式を選択する合意であることに鑑みると、その準拠法についても、当事者の合意による選択を認めるべきである。当事者による明示の準拠法指定がない場合、当事者の黙示の意思を探求すべきであり、その場合、仲裁地法、すなわち当事者の意思により仲裁地として指定された地の法を準拠法とすることが当事者の意思に合致する。仲裁契約の準拠法を判断するために当事者の黙示の意思を探求ないし推定する場合、仲裁契約の人的・物的範囲についての準拠法も仲裁地法と解すべきである。
(二) 仲裁契約が妨訴抗弁になるか否かという問題は訴訟法上の問題であり、法廷地法が適用される。しかし、それは有効な仲裁契約が存在している場合に妨訴抗弁になるか、なるとしてどういう妨訴抗弁になるかという限度で法廷地法が適用されるに留まる。仲裁契約の人的・物的範囲は、仲裁契約の効力の問題であるから、その判断においてよるべき準拠法は法例七条によって定まると解されるのであり、このようにして定まった人的・物的範囲について、妨訴抗弁になるか、なるとしたらどういう妨訴抗弁になるか(停止事由か却下事由か)が法廷地法によって決定されるにすぎない。
3(一) 仲裁契約の準拠法が仲裁地法であると判断される場合、仲裁機関で審理される場合に限らず、訴訟手続において妨訴抗弁として主張される場合にも、仲裁契約の準拠法は仲裁地法とされるべきである。けだし、仲裁機関で審理される場合と訴訟手続において妨訴抗弁として主張される場合で仲裁契約の準拠法を異にするというのは、当事者の合理的意思に反するのみならず、仲裁契約の準拠法をそれぞれ別異に解するならば、仲裁手続において仲裁の申立てが受け入れられるか否かの基準となる「仲裁契約の人的・物的範囲」と訴訟手続において妨訴抗弁となる「仲裁契約の人的・物的範囲」とが異なることになって、その結果、仲裁の手続において仲裁の申立てが受け入れられないにもかかわらず、妨訴抗弁が認められて訴えが却下されて、原告が何らの救済も受けられない場合や、反対に、仲裁の申立てが受け入れられるにもかかわらず、妨訴抗弁が認められず、被告が仲裁契約がありながら応訴を余儀なくされる場合が生じ得るという深刻な問題を引き起こすことになる。
(二) 被控訴人は仲裁契約を理由とする妨訴抗弁を申し立て、本件訴えの却下を求めているにすぎず、自ら仲裁を申し立てているわけではないから、妨訴抗弁の申立てを仲裁申立てと同視してその準拠法を論ずることはできない。
4 本件仲裁契約のような国際的な通商に関する仲裁契約には、ニューヨーク条約を含む連邦仲裁法が適用され、連邦仲裁法が適用される場合には、連邦法は、連邦憲法第六編二項の最高法規条項により、州法に優先して適用される。したがって、本件仲裁契約におけるニューヨーク市で適用される法とは連邦仲裁法及びこれに関する判例である。
第三 証拠関係
本件訴訟記録中の原審における書証目録及び証人等目録並びに当審における書証目録に記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 本件訴えの適否について
本件訴えは、控訴人とリングリング社とがサーカス興行を目的とする本件契約を締結するに際し、リングリング社の代表者である被控訴人がキャラクター商品等の販売利益の分配及び動物テント設営費用等の負担義務の履行について控訴人を欺罔して損害を与えたとして、控訴人が被控訴人個人に対して、不法行為に基づく損害賠償を請求した事案である。被控訴人は、控訴人とリングリング社との間で締結された本件仲裁契約が本件訴訟にも適用されるから、仲裁契約の存在は妨訴抗弁となるというわが国の民訴法の解釈によれば、本件訴えは却下されるべきであると主張するので、まず、右主張について判断する。
1(一) 控訴人とリングリング社との間で本件仲裁契約が締結された事実は、当事者間に争いがない。
(二) 控訴人は、本件仲裁契約の仲裁条項は、日本側の仲裁機関の特定が不十分なため無効であると主張する。しかしながら、本件仲裁契約においては「紛争は、(中略)商事紛争の仲裁に関する国際商業会議所の規則及び手続に従って仲裁に付される」旨が定められているところ(成立に争いのない乙第一号証)、国際商業会議所の標準規則によれば、仲裁の申立ては各国の国内委員会を通じてパリの仲裁裁判所事務局にこれを行うことができること、仲裁人の選定は当事者に委ねられているが、当事者間で仲裁人の選定に必要な合意が成立しない場合には一定の手続により仲裁人が選定されることが定められており(原本の存在・成立に争いのない乙第六〇号証)、日本には国際商業会議所日本国内委員会が東京都にあることは当裁判所に顕著な事実である。したがって、当事者が国際商業会議所の仲裁規則及び手続に従って仲裁する旨を合意していさえすれば、当事者間で具体的な仲裁機関を特定する合意が成立していなくても、日本では仲裁の申立てをし、仲裁判断を受けるのに支障はないことになるのであり、控訴人の主張は採用できない。
2 仲裁契約は、控訴によらず、一定の者に一定範囲の紛争につき、その対象である具体的な権利義務あるいは法律関係の存否の最終的な判断を委ねることを内容とする契約であり、契約においては、仲裁手続を実施するために必要な諸事項が定められ、その一つとして、どの範囲の紛争を仲裁判断に委ねるかも定められる。これらの点についての契約の準拠法は、紛争の解決方法という特殊な事項についてであるとはいえ、私的自治の領域での契約の効力に関する問題であるから、当事者の意思によって定まり(法例七条一項)、それが明確を欠く場合は、特定の場所で一定の法的手続を行うことを定める契約の性質からして、仲裁手続を行う地の法律によるのが当事者の意思であると推定すべきである。本件においてこの推定を覆すに足りる事情は認められない。
ところで、仲裁契約は、仲裁の対象とされる紛争に関する訴訟について一定の訴訟法上の効果(通常は訴訟を排除する効果)を有し、このような訴訟法上の効果のいかんは、一般的には法廷地法によって定まるべき事柄である。しかし、仲裁契約が訴訟排除効をもつのは、それが一定範囲の紛争を訴訟によらずに解決することを定めていることの反射的効果としてであるから、排除効の及ぶ紛争の範囲は、原則として仲裁契約の準拠法によって定まるものと解すべきである。もっとも、そのように解すると、仲裁契約上、仲裁の行われる国として複数の国が予定されている場合(本件はまさにそのような場合である。)には、いずれの国の法律に基づいて訴訟排除効の範囲を決すべきかが問題となるが、仲裁と訴訟との相互補完的関係並びに当事者が特に仲裁という特別の紛争解決手段によることを合意している以上、この合意の効力をなるべく尊重すべきものと考えられることからすると、このような場合には、原告が当該請求について仲裁を求めた場合に仲裁契約の効力に関して適用される法律が特定している限り、この法律に準拠すべきものと考えられる。そして、本件仲裁契約においては、仲裁の申立てをする当事者はそれぞれ相手方の国の特定の地の仲裁機関に申立てをすべきものと定められているのであるから、訴えを提起した当事者は、相手方の国で仲裁を申し立てた場合に仲裁契約の準拠法上その申立てが仲裁の対象に該当するものと認められない場合、すなわち、仲裁契約の準拠法について前述したところからすると、原則的には相手方の国の法律上当該請求につき仲裁を求めることができない場合に限って、仲裁契約の排除効を免れ得るものと解すべきである。
本件仲裁契約は、控訴人とリングリング社との間で成立した、本件契約(興行契約)の解釈又は適用を含む一切の紛争をそれぞれ相手国側の仲裁機関(東京都又はニューヨーク市の仲裁機関)に対する仲裁申立てによって解決するとの合意を内容とするものであるから、本件訴えの適否は、アメリカ合衆国ニューヨーク市において適用される法律に基づく仲裁契約の解釈上、本件訴えに係る請求が仲裁の対象に含まれるとされるかどうかによって決せられることになる。
3 そこで、検討するに、前記のとおり本件仲裁契約においてはリングリング社の代表者である被控訴人は合意の当事者となっておらず、また、本件訴訟のような控訴人とリングリング社の代表者との間の紛争をも仲裁の対象とする明文の定めもない。
しかしながら、原本の存在及び成立につき争いのない甲第二五号証、乙第六六号証、弁論の全趣旨によって真正に成立したものと認められる乙第九号証、第一三ないし第一七号証、第一九号証、第二二、二三号証及び第五七号証及び第六七号証、証人ジェローム・ソワロスキーの証言によって真正に成立したものと認められる乙第一〇号証の一ないし三、第一一、一二号証、第一八号証、第二〇、二一号証、第二四号証並びに弁論の全趣旨によれば、ニューヨーク市において適用される仲裁契約に関する法は、連邦仲裁法及びこれに基づく合衆国連邦裁判所の判例であること、合衆国連邦裁判所の判例は、仲裁契約の効力及び適用範囲についてはこれを拡大する方向で解釈すべきであるとの一般的な基準の下に、ある取引から生じたすべての紛争を仲裁に付するという趣旨の仲裁契約が締結されている場合、一方当事者の被用者として当該取引に関して行った個人の行為を問題にする紛争と、契約締結段階で一方当事者が詐欺を行ったとする紛争について、それぞれ、当該仲裁契約の適用範囲に含まれ、仲裁によって解決すべきであるとしていること、また、ニューヨーク州の連邦地方裁判所は、リングリング社及び被控訴人が控訴人及びその代表者森岡和彦を相手方として申し立てた、控訴人及び森岡和彦が自己の請求につきニューヨーク市で申立人らを相手に仲裁を進めることなどを命ずることを求める仲裁付託及び差止命令申立事件において、平成二年一一月二一日、①控訴人及び森岡和彦に、本件仲裁契約の条項に基づき国際商業会議所の規則に従い仲裁申立てを行うことを命ずる、②控訴人の本訴請求が本件仲裁契約の条項に含まれていることを確認する、③控訴人及び森岡和彦は、本件仲裁契約の仲裁条項により要求される仲裁手続がなされている間、本件訴訟を進行させてはならないとの判決を下し、これが確定している(但し、控訴人は右裁判につき呼出しを受けたが欠席している。)ことが認められる。
控訴人は、仲裁地がニューヨーク市であるとすれば、連邦仲裁法及びこれに基づく合衆国連邦裁判所の判例を適用する前に、まず、ニューヨーク州の仲裁法及びこれに関する判例の適用を検討すべきであり、この場合、連邦仲裁法や合衆国連邦裁判所の判例を適用したときとは違った結論になる可能性があると主張する。しかし、前掲各証拠、殊に乙第二二号証によると、州法に優先して適用される連邦仲裁法が、外国との通商を含む契約で「当該契約、取引又は全部もしくは一部の履行拒否から生ずる紛争を仲裁によって解決すべき旨の書面による定め」がある場合に適用されるものとされている(同法二条)ことに照らせば、右主張の理由のないことは明らかである。また、控訴人は、本件仲裁契約においては、その対象とする紛争を示す文言が、右判例において問題となった仲裁契約の表現に比べて限定的であり、本件仲裁契約については右判例と異なる解釈が妥当する可能性があると主張し、甲第二五号証及び第三〇号証には右主張に沿うかのごとき意見の記載がある。しかし、右各意見はいずれもその内容に曖昧な点が目立つ上、甲第三〇号証は、その作成者はカリフォルニア州の弁護士でニューヨーク州に適用される法及び判例について公的に言及する権限を有しないばかりか、調査は完全もしくは網羅的でないことを自認する内容であり、いずれもにわかに採用することができない。
右認定の連邦仲裁法及びこれに基づく判例の示す仲裁契約の物的及び人的範囲の解釈並びに控訴人に対する仲裁付託命令の確定の事実等によれば、控訴人は、本件請求にかかる損害賠償請求について、合衆国で被控訴人を相手方として仲裁判断を求めることができるものと解される。
4 公序規定による米国法適用の排除について
控訴人は、右米国法の適用の結果は、わが国の憲法が保障する裁判を受ける権利を侵害することになるから、外国法の適用がわが国の公の秩序に反する場合に当たり、法例三三条によりその適用は排除されるべきである旨主張する。
しかしながら、控訴人の右主張は採用することができない。その理由は、原判決一七枚目表九行目の「詐欺をも」から同一〇行目の末尾までを「詐欺による紛争をもその対象に含むか否かは、見解の分かれるところであろう。」と改め、同一八枚目表三行目の「認められること、」の次に「当審における請求減縮前の」を加え、同九行目の「原告の期待を著しく裏切る」を「同契約の適用範囲に関する控訴人の予想に著しく反する」と改めるほかは、原判決一七枚目表一行目から同一八枚目表一一行目までの理由説示と同一であるから、これを引用する。
5 以上によれば、控訴人は、リングリング社との間において、本件訴えに係る紛争をニューヨーク市での仲裁に付すべきことを合意したもので、この合意は被控訴人との関係においても効力を有するところ、このような仲裁の合意が存する場合、それが外国法に準拠する仲裁の合意であっても、訴訟手続による解決を要しない場合に当たるというべきであり、本件訴えの利益を欠くものといわざるを得ない。被控訴人の抗弁は理由がある。
二 よって、本件訴えを却下した原判決は相当であるから、本件控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官加茂紀久男 裁判官柴田寛之 裁判官渡邉等は、転補のため署名捺印することができない。裁判長裁判官加茂紀久男)